在宅生活の継続困難とはどんな状態か

以前在宅でのリハビリ継続困難となる状況に関連する要因を検討したものがありました。やはり持病の急性憎悪や悪性腫瘍によるものが上位に上がっていました。

 

最近はリハビリは継続できても、在宅生活の継続が困難なケースが立て続けに出てきています。

 

ご飯が食べれない。

嚥下障害があるというわけではないのです。ただ、食が進まず体重減少が著しいという状況です。

 

家族介護に頼りたくない。

介護が必要であることには違いないという状況なのに、家族支援はいや、かと言って公的サービスを受けるのもいやという状況です。

 

認知症の進行。

身体的介護の必要性の増加により、公的サービスを限界まで利用しても家族介護負担が増加し続ける状況です。

 

どの状況下でも、リハビリは公的サービスに含まれていて、問題渦中でリハビリとしてどう立ち回るべきか迷うところです。

 

嚥下障害がないのに食欲が湧かないという状況もあります。自宅だと食べられないけど、家から出たサービスを利用すると食べられるという状況もあります。必要な栄養を摂取するということであれば経管栄養という選択肢もあるのですがそれを決めきれないという状況もあります。食べられなくなるのは何かしらの問題が生じているのでしょうが、その対応を決断する思考が働かない、もしくは決断に十分な材料を持っていないか提供できていないかなのです。このことは、本人、家族、それに関わる事業者全員に当てはまることです。

 

外部者の要因としては、食べられないということに対して、嚥下障害の可能性をまず考えます。反復唾液嚥下テストや水飲みテストをしてスクリーニングを行います。嚥下障害が疑われれば、本格的な評価を依頼します。嚥下障害がなければ、義歯、食べ物の硬さ、食嗜も考慮します。また、必要摂取カロリーや水分のおおよその見当もつけます。そして、体重の経過を知っていることが必要です。

覚醒レベルや嚥下反射の神経や内科疾患レベルでは、医師の診察が必要です。

本人家族としては、体重の変化が食べている量に関係しているということと、それが生命維持に影響を与えているという理解が必要です。また、持病に対して、食事と水分がどれほど影響を与えているかを知っているのと、いないのでは本人と家族の行動に対するモチベーションが異なります。

 

こうした過程を再考してみても、介護医療職が問題をキャッチして、分析して対応を考えます。そして、本人家族へ提案して、それを理解して実行に移してもらう。それから、効果を判定するという過程です。

 

では、どこでつまずくと在宅介護ができないのか、食べられないのか。

まず、介護医療者がキャッチする問題が適切な問題となっているのかです。困っているのか、解決する価値があるのか、解決できるものなのかです。家族、本人の問題意識がない、薄い、理解されないという状況では、当事者にとっては問題とならないのです。ですから、そのような状況ではこちらがいくら頑張っても解決に結びつかないのも納得です。それに関わることですが、介護医療者の評価に対する考えによっても問題の深刻さが変わってしまうかもしれません。そして、問題を明確化した後に、解決策としていくつの案を出せるかということになります。

 

本人家族は提案された問題点と解決策を吟味することとなります。今度は介護医療者ではなく本人家族の問題に対する価値感によって受け取り方が変わってきます。本人を見てその深刻さを理解できるか、そして解決策が現状の資源で可能となるかの判断をしてもらうこととなります。

 

家族本人の現状の理解としては、はたして外部の事業者の理解と一致しているのでしょうか。病態の理解としては、どうしても介護医療者の理解と対等とはいかないでしょう。しかし、どれくらいの理解が有れば在宅生活の継続が実現するのでしょうか。周りから見てピンチと思っていても、家族本人は問題ないと思っていたら問題ないという認識になってしまいます。

 

そして、現状の理解と解釈があり、今度は選択となります。理解と解釈に加えて、今度は介護能力と介護資源の量が関わって、選択がなされることとなります。能力と資源の量の解釈にも本人家族と、外部の人間からのものと違いが生じてきます。

 

介護保険は本人の自律を中心に置いたシステムです。すなわち、自分の価値観に従って選択することが前提となります。しかし、他人から見て明らかに苦難が待っている選択をしてしまうようなことがあった場合に、果たしてその意思を尊重すべきか、説明と説得によって違う方向性に導くか。

 

選択することは、リスクとリターン、それがしっかりと評価できなければ、最上解は導き出せません。そこに必要なのは、知恵と、選択を比較する思考、そして助言かもしれません。