ストレングスファインダー 学習欲

私の2番手に出てくる資質は学習欲です。

資質としては、学習意欲が旺盛で向上思考。結果よりも学習すること自体に意義を見出します。プロセス重視とも言えるようです。深く考えることが不可欠です。それはいつでもです。また、色々な人とアイデアや概念について話しているとより考えが深まり、そして活性化されることにも喜びを感じます。もちろん知識だけでなく、技術を得る過程にも魅力を感じる資質です。

 

昨年は私の中のテーマはリベラルアーツを学ぶでした。歴史、宇宙、生物、感染症、AI、宗教などの本を読みました。それらから見られる、共通の部分を見出した時の喜びと、もっと早くに気づきたかったなとの後悔もありました。しかし、それを人生にどう活かすのかが次なる課題でした。そして学んだことを形にしていくにはどうすれば最も効果的になるのかもまた課題です。

 

調和性を噛み砕いて、分野や課題を抽出していくと結構自分に不足している知識技術があぶりだされてきます。そこで、学習の登場です。必要なものを学習して、実践に移すつなげる能力を身につける必要があるのです。

 

学習欲を資質に持つ私は、分野の選定と学習した成果と、そのプロセスを形にすること、それらを実践なら繋げること、人と話しをして意見交換していくことを実行するのみです。

ストレングスファインダー 調和性③

調和性を発揮するためにはどのような能力が必要なのでしょうか。元来の資質である以上、もともとそこに目標をおいて行動する傾向があることは間違いないのかもしれません。しかし、学習欲、分析志向もある私としては必要な能力を考えて今年も行動したいと考えています。

 

資質の解説では会議や会社などでの意見対立を嫌う、または意味を見いだせないとする感覚であるのでリーダーシップに近いものがあるのかもしれません。会議に限っていえばファシリテーター的な役割となるでしょう。部門でのまとまりを考えるとリーダーとともにマネジメントの能力も必要でしょう。

 ・リーダー

 ・マネジメント

 ・ファシリテーター

 ・交渉力

 ・分析力

 ・理解力、論理力

 ・発見力

分析思考はストレングスファインダーの資質の中に重複する能力となりますが、それぞれに出現してくる意見をしっかりと理解して、その意見の立ち位置や賛成、反対、構造的に私自身が理解する能力が必要でしょう。そして、忘れていましたが不調和である状況を定義することができることも重要です。ただ、自分自身の主観で雰囲気で物事を語ってしまっては、その集団全体の意見は反映されることがなくなってしまいます。

 

自分で考える資質を発揮するために必要な能力は箇条書きにしただけでも結構ありますね。自己実現、自分のやりたい仕事を見つけるためには時間がかかります。落ち着いて、ゆっくりとかけなければいけない時間をかけましょう。

ストレングスファインダー 調和性③

私と社会との調和を考えてみましょう。自己実現にもつながります。今の仕事と、別の道があるのか。つまり今の調和の方向性と、これから調和性が発揮できる場はどんなところなのか。

 

そもそも私が調和性を発揮できる場所はどんなところなのでしょう。今の仕事は医療介護、社会福祉に関することです。色々と考えてみると社会には、物理や化学など生命の成立ちを知ることや物事の調和を成立させている原理の探究を行う仕事、ネットや家電などの人の生活の調和の度合いを更に高める領域もあるでしょう。そして、私が今いる領域は人権や生活が平等になるように社会と個人の調和をとる領域です。

 

今の仕事しかしてこなかった私がなにに向いているのかはわかりません。好きなことを見つける方法として見られるのは、とにかくいろいろと試してみるということ。ということは、調和の資質を発揮する領域もいろいろと試して見ないとわからないということでしょうか。ましてや、他の分野の仕事についてはそもそも仕事の種類すらわからない状況です。

 

色々と違うジャンルの世界をみる!

 

まずはこれをすることを習慣化します。

そして、現状のお仕事から何を目標とするか。もちろん、今の仕事を続けるか、またはそこから他の道を見つけるかを模索することになります。人間関係の機能をどのような原理が働いて改善していくか、生活の権利の平等を如何に構築していくかの調和を自分の中で実行、モデル化していくことで、やり方や他の分野への応用の道が開かれるかもしれません。

ストレングスファインダー 調和性②

調和しているとは、「全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。」不調和とは、この逆の概念となります。

 

親子と夫婦の関係性における調和をとるということは、考え方の相違があっても生活の方向性がそろうことでしょう。子供と配偶者に対しては親、夫である私との勉強に対する考え方や人との関係性に対する価値観の違いの不調和である矛盾を生じないように話し合って合意形成をしていくことが調和をとることになります。人としての個性を矯正しようとは思いません。しかし、人としてどうあるべきかは話し合って方向性の合意形成をしていく必要があります。つまり、思いやりや自分ではない他者を考えて行動することや、身の回りを整理整頓するなどの考え方の調和を行っていくかに資質を発揮するということです。

 

私の場合には、子供と私が調和したい方向性は何か。以前から興味があった道徳、論語と算盤に代表されるものでもある人としてどうあるべきかをともに考えることです。学ぶことと、思いやりに調和をとっていくということです。この日々変わっていく世界の中では、世界の流れについて行くこと、生き残って行くことにはあらゆることを学ばなければなりません。リベラルアーツはもちろんのこと、マシンアーツも含まれます。そして、理論通りにはいかないこと、人間関係や人の気持ちに接したり、ぶつかった時にそこで考え、学ぶ能力を養うことができるように親子で調和していきたいと思います。

 

夫婦ではどうでしょう。子供との調和の方向性との調和がまずは必要でしょう。そして、夫婦としての生活とこれからの将来についての調和をしていくことです。不調和とて思い当たるふしとしては、生活様式の違いです。もう12年も一緒にいますが、未だにあります。それを私の価値観に合わせるのは調和をすることとは違うように思います。生活様式の違いについて、相手を変えることは調和取ることは私の中では資質を発揮することではありません。その生活様式をすることで生じる、経済的、健康的な不利益を最小限にすることが調和すべきことです。そして、自己実現をお互いに達成することができることに調和性を発揮していきたいと思います。お互いの自己実現がなんなのかはこれから話して行くことになりますが…。

ストレングスファインダー 調和性

家庭でも会社でも、社会でも私は平和でいることがとても心地よく感じます。ストレングスファインダーでは、調和性は意見の一致を求める資質であり、意見の衝突を嫌い、異なる意見でも一致する点を探す志向のことをいうようです。日本人には多い気質の用です。意見が相違して対立することに意味を見いだせないということにもなるようです。私の方には相違があることも許容するような人格でいたいと思いますが。調和することで不調和な状態に打開するような、かつ具体的な案を提示してくれるような立場となる資質があるようです。

 

 さて、調和することに力を発揮することができる資質というのは、どの分野にその資質を発揮することが私にとって有益なのでしょうか。家族、会社、社会などなど。より身近のことを考えると

 ・夫婦関係、親子関係

 ・家族内の金銭関係

 ・会社の部署内の関係性

 ・会社の自分と全体、部門と全体の関係

 ・会社での自分と利用者、家族との関係

  <現在の職業における関係>

  ○からだの痛みや機能に対する介入による変化の関係

  ○利用者の生活の介入による変化の関係

  ○利用者家族の生活の介入による変化の関係

  ○高齢者と障害者と社会の関係性

 ・会社と地域の他事業所の関係

 ・自分自身と他事業所とその職員との関係

 ・地域活動における自分自身と他事業所の職員との関係

 

様々なことがらが私自身と関係性が生まれています。そのことに対する不調和を解消することができるのか…。いや発揮する機会がある場所は多々あります。そもそも調和している状態と調和な状態とはどのようなものか。

 

 

 

ストレングスファインダー分析

最近ようやく念願だったストレングスファインダーを行いました。過去に行ったことがありますがそのときには確か、

分析思考、原点回帰、あと…。

とにかく昔よりも変わったかなと思ったのと、もう一度現在の思考と行動について、将来の仕事や生活をどのように組み立てていくかを考えるためにストレングスファインダーを行いました。

その結果としては、

 1.調和性

 2.学習欲

 3.収集心

 4.分析思考

 5.最上志向

が抽出されました。全体的に見ると調和性と、そのほかという感じになります。

調和性はあらゆる領域についての調和を優先させるという思考です。まさに当てはまるような気がします。家族や職場などで仲違いが生じるのはすごくいやです。そして、その改善をなんとかしようとしている自分が常にあるような気がします。そしていつも自分はいつも平穏でいようとも思っています。

 

そのほかの学習欲、収集心、分析思考、最上志向は非常に似通った性質のようです。新しい情報や分野、データを学習して収集して分析して、現状の課題に適応させて改善しようとすることに力を注ぐことが性格に反映しており、それがストレングスということに納得できます。

 

これらのことをより分析して、家庭や仕事、地域活動、社会貢献に役立てるように自分の行動の指針にしたいと思います。

 

 

在宅生活の継続困難とはどんな状態か

以前在宅でのリハビリ継続困難となる状況に関連する要因を検討したものがありました。やはり持病の急性憎悪や悪性腫瘍によるものが上位に上がっていました。

 

最近はリハビリは継続できても、在宅生活の継続が困難なケースが立て続けに出てきています。

 

ご飯が食べれない。

嚥下障害があるというわけではないのです。ただ、食が進まず体重減少が著しいという状況です。

 

家族介護に頼りたくない。

介護が必要であることには違いないという状況なのに、家族支援はいや、かと言って公的サービスを受けるのもいやという状況です。

 

認知症の進行。

身体的介護の必要性の増加により、公的サービスを限界まで利用しても家族介護負担が増加し続ける状況です。

 

どの状況下でも、リハビリは公的サービスに含まれていて、問題渦中でリハビリとしてどう立ち回るべきか迷うところです。

 

嚥下障害がないのに食欲が湧かないという状況もあります。自宅だと食べられないけど、家から出たサービスを利用すると食べられるという状況もあります。必要な栄養を摂取するということであれば経管栄養という選択肢もあるのですがそれを決めきれないという状況もあります。食べられなくなるのは何かしらの問題が生じているのでしょうが、その対応を決断する思考が働かない、もしくは決断に十分な材料を持っていないか提供できていないかなのです。このことは、本人、家族、それに関わる事業者全員に当てはまることです。

 

外部者の要因としては、食べられないということに対して、嚥下障害の可能性をまず考えます。反復唾液嚥下テストや水飲みテストをしてスクリーニングを行います。嚥下障害が疑われれば、本格的な評価を依頼します。嚥下障害がなければ、義歯、食べ物の硬さ、食嗜も考慮します。また、必要摂取カロリーや水分のおおよその見当もつけます。そして、体重の経過を知っていることが必要です。

覚醒レベルや嚥下反射の神経や内科疾患レベルでは、医師の診察が必要です。

本人家族としては、体重の変化が食べている量に関係しているということと、それが生命維持に影響を与えているという理解が必要です。また、持病に対して、食事と水分がどれほど影響を与えているかを知っているのと、いないのでは本人と家族の行動に対するモチベーションが異なります。

 

こうした過程を再考してみても、介護医療職が問題をキャッチして、分析して対応を考えます。そして、本人家族へ提案して、それを理解して実行に移してもらう。それから、効果を判定するという過程です。

 

では、どこでつまずくと在宅介護ができないのか、食べられないのか。

まず、介護医療者がキャッチする問題が適切な問題となっているのかです。困っているのか、解決する価値があるのか、解決できるものなのかです。家族、本人の問題意識がない、薄い、理解されないという状況では、当事者にとっては問題とならないのです。ですから、そのような状況ではこちらがいくら頑張っても解決に結びつかないのも納得です。それに関わることですが、介護医療者の評価に対する考えによっても問題の深刻さが変わってしまうかもしれません。そして、問題を明確化した後に、解決策としていくつの案を出せるかということになります。

 

本人家族は提案された問題点と解決策を吟味することとなります。今度は介護医療者ではなく本人家族の問題に対する価値感によって受け取り方が変わってきます。本人を見てその深刻さを理解できるか、そして解決策が現状の資源で可能となるかの判断をしてもらうこととなります。

 

家族本人の現状の理解としては、はたして外部の事業者の理解と一致しているのでしょうか。病態の理解としては、どうしても介護医療者の理解と対等とはいかないでしょう。しかし、どれくらいの理解が有れば在宅生活の継続が実現するのでしょうか。周りから見てピンチと思っていても、家族本人は問題ないと思っていたら問題ないという認識になってしまいます。

 

そして、現状の理解と解釈があり、今度は選択となります。理解と解釈に加えて、今度は介護能力と介護資源の量が関わって、選択がなされることとなります。能力と資源の量の解釈にも本人家族と、外部の人間からのものと違いが生じてきます。

 

介護保険は本人の自律を中心に置いたシステムです。すなわち、自分の価値観に従って選択することが前提となります。しかし、他人から見て明らかに苦難が待っている選択をしてしまうようなことがあった場合に、果たしてその意思を尊重すべきか、説明と説得によって違う方向性に導くか。

 

選択することは、リスクとリターン、それがしっかりと評価できなければ、最上解は導き出せません。そこに必要なのは、知恵と、選択を比較する思考、そして助言かもしれません。